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FLY TO THE FUTURE−第1章 途方もない夢への離陸19−

September 4, 2018

 さて、学校運営には、設備、教師、生徒だけでなく、事務などの仕事を受け持つ職員も必要である。義三の設立した学校は全員が寮生活を送る体制となっていたため、寮生の食事の世話などの仕事も発生する。

 こうした事務や寮での仕事などを担ったのは、義三の妻・千秋や長女・はつよ、次女・秀子たち、梅沢家の女性陣であった。

 学校の事務仕事は、初めはわからないことばかりだったので、義三の指示を受けながら覚えていった。そのうち、慣れるにしたがって効率的なやり方を工夫し、テキパキとこなすようになっていった。

 航空局への申請書類などはタイプライターを打って清書した。タイプライターはまだそれほど普及しておらず、タイピストと呼ばれる女性はかなり高度な専門職として憧れの存在だった時代だ。梅沢家の女性たちは独学でタイプを勉強し、山梨の田舎の飛行学校でその腕をふるっていたのである。

 寮生の世話もした。もともと梅沢家の女性たちは料理好きであったし、寮生にも家庭料理は喜ばれたが、寮生全員分の食事となると家族分だけつくるのとは勝手が違う。それに、学校経営の点からみれば、限られた予算内で栄養バランスがとれ、かつボリュームのある献立を考えてやりくりしなければならない。校舎の裏庭に小さな畑を作って野菜を育てたり、山菜採りに行ったりもした。

 

 義三を長として航空業界へ飛び出した〝梅沢号〟は、家族全員が一丸となって困難を乗り越えて突き進んでいくしかない。いや、義三の強い信念、不撓不屈の姿をもっとも身近でみている家族にとって、自分たちもできるだけのことをして協力するのは当たり前のことであった。

 梅沢家に嫁いだならば、あるいは梅沢家に生まれたならば、一家の一員としてこの事業の一端を担うのは宿命といえた。

 もっとも、この田舎町では農家にしろ商家にしろ、女衆が旦那や息子たちと共にせっせと働いている。梅沢家の女性たちが他家の女性たちと異なるところは、飛行機という突拍子もないものに関わっていることであった。一般人にとって自動車さえ馴染みのない甲府のはずれで、飛行機に関わる教育を行うというのだから。

 しかし、自分たちが一生懸命働くことが学校運営に役立つのであれば、それは大きな満足感につながった。

 梅沢家が運営する飛行学校の飛行場は、近隣の小中学校から遠足の申込みが相次ぐ人気の場所となった。子どもたちがやってきて滑走路や飛行機に歓声をあげる姿を見ると、義三はたちまち笑顔になった。子どもたちにとって、飛行場の広さを知り、そこから飛び立つ飛行機を見ることは、空への夢の入り口であった。

 「かっこいいなあ」

 「僕も大きくなったら飛行機乗りになる!」

 そのような無邪気な声を耳にすると、義三は目をさらに細めた。

 

 義三の長男、鋭蔵も小学生になっていた。困難にくじけず大望を実現していく父の姿を見て育った鋭蔵は、父を尊敬していたが、やがて自分がこの飛行学校の二代目経営者として重責を担う運命にあるという実感は、まだかけらも持っていなかった。

― つづく ―

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